働き方−日本と海外−非効率的に見えて実は大切な部分

「実は他の先進国と変わりない」「日本人は働きすぎ」と意見が真っ二つになって実際どうなのか?と疑問を持ちました。
僕はまだ学生でアルバイトの身ですが、社員の人達は時間外労働までして大変そうです。

ところで
>非効率的に見えて実は大切な部分
>海外の働き方をひたすら受け入れる
の部分が良くわからないのですが、具体例ってありますか?

上記のような質問を頂いたのでコメントをします。
実はこのような部分を表現するのは非常に難しいです。また、これらがすべて海外と日本とにカテゴライズされて言えるわけではないので。

非効率に見えて大切な部分とは、細部へのこだわり、高い品質を維持する部分です。

「プロジェクトは残りのの20%を完成させるのに労力の70%くらい費やす。日本は品質を高めるために残りの20%を頑張るよね。僕たちはその部分をやるんだったら、新しい70%を作ろうとする。品質にこだわりすぎだ。だから長時間働くことになる」といわれるコメントって結構的を得ていると思うんです。


製品の箱って日本だとちゃんと傷もついてないキレイなもので、完璧に近いもので、少しでも傷があると商品には出せない。こんなことって他の国では当たり前ではないと思います。これに代表される製品全般的な質でも同様です。

このようなことが様々なところで起こり、結構仕事の精度が細かいレベルで高いのではないかと思います。



■合理化論、分権移譲論

日本の働き方を批判するようなかたちで海外の働き方を進める意見もあります。それは大抵が、、合理的に進めよう、というものです。


日本人はムダに働きすぎだと言うものですが、フレキシブルに動こうとか、必要ないコミュニケーションをなくそうとか、権限と責任の分担がきちんとされてないから判断のスピードが遅いとか、ムダに動くことになるとか。


簡単には…分権化を例に上げましょう。


責任の明確化、分権が進んでいると物事の判断が早いのです。例えば、、プリンタの数が足りないから社内に導入する。これを現場の1社員に決定権があったらどうでしょうか。

分権化が進んでいれば、一人の社員が「自分の分析によって、必要と判断、買う」というフローになります。もし決済権が部署(部長)にあればどうなるか、一人の社員が「自分の分析によって、必要と判断、買う」、どの後「部署の人間に相談する(部長に直接、あるいは会議などで)、話し合いになる」「最終的に買うか買わないかを決定」

実は「この部署の人間に相談する(部長に直接、あるいは会議などで)、話し合いになる」時間に多くの時間が割かれます。


それは会議とは1名の人間にとってはたった1時間の会議だとしても、会社としては
1時間×参加人数の時間になるのです。4名集まっていたら4時間です。会議なんて参加しているだけ、という人はその時間は全く無駄になります。


これを個人に決済権を与えて、会議を開かないようにしたら…?
ここに新たな3時間の時間が生まれます。その3時間の時間を他の作業を行なったら?いくつかの可能性が生まれます。

・早く帰れる
・時間がなくてできなかった仕事に時間を費やせる
・新しい事業を考えることができる(クリエイティブなことに時間を費やす)

これは極端な例ですが、分権のスピードアップとは全体的としての時間を考えた場合に必要です。


しかし、、、ですが、、ここで毛利元就でしたっけ?三本の弓を思い出しましょう。(すいません適当な知識で、毛利さんの例は良い例でないかもしれないのでダメだったら指摘してください)


もし買う予定のプリンタの判断が適切でなかったら?つまり「自分の分析によって、必要と判断、買う」という判断が適切でなかったらどうでしょうか。他の人にこんな意見があれば…?

・実はもっと良いプリンタがある(安い、品質が良い)
・社内の別の部署に使用されてないプリンタがある
・いやプリンタを買うのではなく、紙を使用するのを減らそうよ

「クオリティが高い」というところはこのようなところに根ざしているのではないでしょうか。その分もちろん働く上での時間も要するかもしれません。


分権化とはうまくいけば合理的で、決断力のアップ、スピードアップに繋がりますが、間違うと組織としての情報共有や判断を誤る、クオリティを落とすことにもつながります。


また分権化、裁量権の移譲は、個人の役割、責任を明確にする分、個人の評価がより明確にし易くなるので、給与の差を出すことができます。稼ぐ人は稼ぎます。一方、責任が重くのしかかるわけですから、個人の受けるプレッシャーはその分大きくなります。できなきゃクビよって訳です。このようなところから生まれる「しがらみ」や「問題」も実は結構多くあります。外資系の企業で働いたことのある人ならなんとなくイメージできるのではないでしょうか。


学生なら「実力、責任ある仕事がしたい!たくさん稼ぎたい人と夢見る」一方、全体的に見ると合理的な組織にも「影の部分」が生まれます。



まあクオリティの話では、賞味期限切れとか食品関係で最近は不祥事の問題をよく聞きます。一概に日本がクオリティの高い国かといえば疑問ですが、、それでも海外のものを考えるとまだだいぶレベル高いんじゃないかと思います。(個人的な意見ですが。。)


話を元に戻すと。「働き方−日本は言われるほど悪くない 」で書いたのは、日本は経済大国、世界的を見ると日本ってすごいなと思います。だからこそそれほど「日本の働き方を卑屈に受け止める」、「海外の働き方はやっぱりすごいよね」的な考えは必要ないと思うわけです。もちろん絶えまない「改善」は必要であるという前提のもとにですが。